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平成24年度考古博物館協力会第2回日帰り研修「南信州 下伊那の縄文と騎馬に思いを馳せる旅」 2013.3.23

《更新情報》 2013.8.22 研修記2名追加しました。

大変大変遅くなりましたが、3月に行った研修のようすを掲載します。
参加された方は当日を思い出しながら、残念ながら参加できなかった方は今後の参考としてご覧いただければと思います。

平成24年度第2回日帰り研修「南信州 下伊那の縄文と騎馬に思いを馳せる旅」を平成24年3月23日(土)に開催いたしました。
29名の協力員、一般の方7名(急遽募集いたしました)事務局4名、計40名で行って参りました。
当日は天候もよく晴れ。
考古博物館から各所の移動は大型バス、見学地では徒歩で巡りました。

*募集しております研修記の一部を掲載しています(最後の部分に掲載)。
 5月31日(金)まで募集中です。 よろしくお願いいたします。

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《飯田市上郷考古博物館にて 集合写真》

平成24年度考古博物館協力会第2回日帰り研修「南信州 下伊那の縄文と騎馬に思いを馳せる旅」

■研修先 長野県飯田市
 ①長野県指定史跡 高岡1号古墳(高岡古墳群)
 ②恒川遺跡群
 ③飯田市上郷考古博物館
 ④飯田市考古資料館
 ⑤重要文化財 旧小笠原家書院、小笠原資料館

 *飯田市の文化情報サイト 文化財保護いいだ

   
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考古博物館駐車場を午前8時に出発。
中央道へ。
バスの中。
今回は三枝先生が司会・進行役、村石リーダーが各所説明役です。
三枝先生のあいさつに続き、村石リーダーの日程説明。

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また協力会副会長の原田さんにごあいさついただきました。
引き続き、村石リーダーの研修地(遺跡)の説明がありました。

■研修テーマ
東海地方と接する南信州の縄文文化、なかでも広域的な交流が読み取れる唐草文系土器は注目に値します。また騎馬文化では、甲府市塩部遺跡からは4世紀後半の馬歯が出土していますが、古墳時代の馬葬例は長野県の下伊那地方に集中しています。とくに飯田市では28例があり全国的にも他に類を見ないものです。現地に立ち彼の地の風に吹かれて、下伊那の文化について思いを馳せます。

これから行く伊那谷は、谷ですが、狭いと感じるでしょうか?広いと感じるでしょうか?との村石リーダーからの問いかけ。
みなさん実際に訪れてみてどう感じたでしょうか?

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そうこうしてるうちに高速道路を降り、飯田市へ向かいます。
しばらく行くと前方左にこんもりした森が道沿いに現れました。
これが長野県指定史跡 高岡1号古墳(高岡古墳群)でした。
このあたりを訪れたことがある協力員さんもこの森が古墳だと気が付かなかったようです。

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《見学》長野県指定史跡 高岡1号古墳(午前10時)
このあたりには長野県指定史跡 高岡1号古墳をはじめ、その他古墳、恒川遺跡群などもあります。
長野県指定史跡 高岡1号古墳のすぐ横にはJR飯田線が通っていました。

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古墳は6世紀中頃築造、前方後円墳。
昭和35(1960)年2月に県の史跡に指定されています。
規模は全長(墳丘長)約72.3m、後円部径約35.2m・高6.2m、前方部幅約35.7m・高さ6.3mです。

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埋葬施設は横穴式石室 石室全長5.6m。
よく見えなかったのですが、側壁の一部に赤彩ありということです。

墳頂へものぼりました。

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くびれ部より前方部を眺める。

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墳頂から降りました。
後円部には高岡神社社殿があります。
(高岡神社の境内地となっています)

出土遺物は少なく、円筒埴輪片や人物埴輪片、馬具などがあります。

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飯田市には20数個という多くの前方後円墳があるそうです。
ですが、現在は消滅してしまったものも多い中、この古墳の墳丘はほぼ全形を留め貴重な存在となっていました。
なぜこの地に多くの前方後円墳が造られたのか…など考えながら見学しました。

次の見学地へ。

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《見学》恒川(ごんが)遺跡群(午前10時20分)
古墳から程なく歩いて到着。
恒川(ごんが)遺跡群は、古代の伊那郡を治めた役所である「伊那郡衙」跡です。
長野県でも2箇所しか確認されていない貴重な古代の役所跡であります。

伊那郡衙は、東山道を通じて東国への第一歩に位置する役所であり、政治・経済上で都と信濃を結ぶ結節点として重要な役割を担っていたようです。

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ここでは郡衙に関係する遺物-郡衙の施設、厨家(くりや)を示す「厨」の墨書がある灰釉陶器埦
(9世紀後半)が見つかっています。
現在は住宅、畑となっています。

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ここで協力員さん方が注目していたのがこの看板です。
「歴史に学び地域をたずねる会」さんで平成24年に建てたものです。
他にも史跡看板を建てているようです。→こちら
詳しい会の活動のようすはわかりませんが、積極的に座光寺の史跡保存運動と地域づくりをされているようです。

協力員の方は、遺跡を調査した後に遺跡にこのような看板があるだけでも遺跡への関心度が違う、山梨の遺跡でもしてもらいたいとこのことを絶賛していらっしゃいました。

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正倉院跡。
租税を納める正倉の建物跡を確認したところです。
現在は畑。
これまで正倉は19棟(7世紀後半~10世紀)確認されています。
また正倉の中から「炭化米」も多数出土しています。
収められた穀物の種類などを知る上で貴重な資料と言えるそうです。

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道を歩いていると飯田市のマンホールがありました。
市の木、名産の「りんご」をデザインしたマンホールでした。

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恒川清水。
恒川遺跡群のほぼ中央部分に当たり、古代から続いていると考えられる湧水です。
当時は祭祀の場であったと考えられています。

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現在はほとんど水がありませんでしたが、昭和50年代までは満水で農業や生活にも利用していたようです。

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こちらにも先程同様の看板がありました。
これで恒川遺跡群の見学を終えました。(午前10時40分)

バスへ戻って次の見学地へ。

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《見学》飯田市上郷(かみさと)考古博物館(午前11時5分)
「埋蔵文化財を通して探る飯田下伊那地域の古代の生活文化」をテーマとした博物館で飯田市で発掘調査された考古資料から人々の暮らしを考えることができる博物館です。
*ホームページ

職員の皆様にあたたかく迎えていただきました。
館長さんにごあいさついただき、ポイントで展示を学芸員、専門主事の方にご説明いただきました。

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唐草文(系)土器を見学しました。
唐草文(系)土器は、縄文時代中期後葉に長野県中部および南部各々を中心として分布する土器群の総称。その型式群中に沈線および隆線で大柄渦巻文(唐草文)が施文されるものがあり、「唐草文系土器」または、「唐草文土器」と呼ばれる。2地域の土器群は、単なる「地域差」では把握不可能な、似て非なる型式群でそれぞれが構成されている。(『総覧縄文土器』より)

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山梨の縄文土器を比べると土器の大きさが小さいものが多いようです。
こちらの粘土はあまりよくなく、このような小ぶりでもろいような土器しか造れなかったということでした。

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説明の後、山梨にこれと似たような土器がある!?など話ながら再び見学しておられる方もいらっしゃいました。

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飯田市上郷にある宮垣外遺跡のSK10より出土した馬の全身骨格の展示を見ました。

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埋葬された馬と思われます。
この骨格を見て、今の馬より小さいなと感じたのではないでしょうか。
この骨格、馬の全身がわかる貴重なもので他館の展示に貸し出されることもあるそうです。

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飯田・下伊那における馬の出土例(古墳)は多数あります。
馬の埋葬例は5世紀後半に集中。この地における馬匹生産集団の存在が想定できます。

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その他の展示。
立体縄文カレンダー。
こんな展示わが考古博物館にもあったらいいかも。

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先程見学した高岡1号古墳の埴輪もご覧になったでしょうか?

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書籍など販売コーナーでは勾玉作りセットがなんと100円!!とのことで盛り上がり、
体験コーナーでは、「古代の役人の仕事 木簡を書いてみよう!」ということで一筆書き、盛り上がりました(午後12時6分)。

上郷考古博物館の職員の皆様ありがとうございました。
博物館を後にし、お楽しみの昼食へ。

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水引の郷 山都飯田というところで昼食をとりました。(午後12時22分)
信州味噌鍋。信州と言えば蕎麦!付きです。
(蕎麦がダメだった方、すみませんでした)
おいしい食事に、これまでの見学地の話など話もはずんだようです。

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信州飯田の伝統工芸水引。
現在、水引製品の全国の約70%を生産しているそうで、水引を今に伝える水引博物館(入場無料)も昼食後適宜見学しました。
先程食べた食事の箸置きも水引で作られていました。

竜宮城。これらはすべて水引でつくられています。
驚きです。

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光ファイバーを水引きの技術で編んだものでしょうか?こちらもきれいでした。
(午後1時23分)

お腹も満たされたということで、さぁ、午後の見学の始まりです。

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《見学》飯田市考古資料館(午後1時36分)
資料館は、重要文化財山門をはじめ数々の文化財を有する古刹開善寺境内に一画にあります。
市内における発掘調査で得られた貴重な資料を旧石器から近世まで時代ごとに展示し、飯田の歴史を出土資料によりわかりやすく解説しています。

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縄文土器を眺めます。ここにも唐草文土器。

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午前中見学した恒川遺跡群の出土品も展示されていました。
ですが、「厨」のの墨書がある灰釉陶器埦などどこかへ出張中なようで見ることができず、残念でした。

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昭和57年に飯田市新井原4号土壙から見つかった馬(歯)。
埋葬された馬と考えられます。
新井原12号古墳北側の周溝外7mの位置にある長方形の土壙から馬具一式を装着した馬が出土しました(歯と四肢の一部)。

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装着していたとみられる馬具。

これまでに飯田・下伊那だけで古墳時代の馬が約30例も確認されています。
やはりこの地域には馬を生産する集団が存在していたことが推測されるそうです。

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その他にも2012年6月に指定になったばかりの飯田市有形文化財 溝口の塚古墳出土品や宮垣外(みやがいと)遺跡 土坑64出土品も見ることができました。(午後2時37分)

研修最後の見学地へ。

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《見学》重要文化財 旧小笠原家書院、小笠原資料館(午後2時50分)

重要文化財 旧小笠原家書院は、江戸時代の旗本伊豆木小笠原氏の居館で江戸時代前期、寛永初年(1624)頃の建造と推定されています。昭和27(1952)年3月に重要文化財に指定されています。

小笠原資料館では、小笠原家関連資料を収集・展示。伊豆木小笠原家の出自と系譜を示す系図や書状・武具、武器類を展示されています。また同家に伝わる小笠原家流の秘伝書、殿様とその家族が使用した日用品など貴重な資料が展示されています。

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管理人の久保田安正さんに旧小笠原家書院をご案内いただきました。
久保田さんは著書『伊豆木小笠原氏と小笠原書院』を出版されています。
この本を買われた方もいらっしゃいますかね?
2008年度に飯田歴研の奨励賞を受賞されています。→こちら

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居館全体は一種の城郭をなし、桝形の城門・物見櫓ほか供待所、厩舎、居間、御守殿、台所など数多くの建物を配していたそうですが、明治5(1872)年に諸建物は取り壊され、書院だけが残されました。
その際、玄関は、御用所の正面に設けられたものを移し、書院の正面入口としたそうです。
平成20年度にこけら屋根などの保存修理工事が行われています。

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ご覧になられましたか?
3分の1を崖上に突出した懸造(かけづくり)の書院は全国的にも珍しいということです。

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書院の中も見学させていただきました。
中も素晴らしかったです。

話の中で…
柱の面取りの幅で建物の年代がわかる!?そうです。
久保田さんのすぐ横の柱の面取り幅は女性の小指の幅だそうです。
幅が広い程古いということでした。

書院の魅力をたっぷりと味わうことができました。
軽快な語りでわかりやすい説明でありました。久保田様ありがとうございました。

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この柱の形(面取りされた柱)は国宝の松本城と姫路城?とここにしかない!(ここにはその柱が3本ある)熱弁されていました。

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小笠原資料館は相反する緩くカーブした細長い形をしている近代的な建物でした。
設計監理は妹島和世設計事務所(妹島和世氏は小笠原家と血縁関係にある)。
妹島氏は2010年度プリッカー賞を受賞した今注目の建築家です。

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資料館の中から書院を眺めることができました。
この丸いイスも珍しかったです。

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伊豆木小笠原家に伝わる秘伝書や伊豆木人形に関する資料などを見学しました(午後3時45分)。

見学終了。帰路へ。

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考古博物館へ近づいた頃、協力会監事の山崎さんに終わりのご挨拶をいただきました。

考古博物館駐車場到着(午後6時20分頃)。
無事全行程を終了できました。ありがとうございました。
お疲れ様でした。
1日お付き合いいただいたドライバーの伊藤さんもお疲れ様でした。ありがとうございました。

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重要文化財 旧小笠原家書院、小笠原資料館敷地内で撮影

平成24年度最後の協力会行事となった第2回日帰り研修、いかがだったでしょうか?
飯田市内の史跡などを巡りましたが、古墳に郡衙跡に縄文土器に様々な時代のものを見、てそれぞれみなさんいろいろ感じたり、勉強になったりしたことがあったと思います。

協力員さんの研修の感想は、この後に掲載しておりますのでどうぞご覧ください。
(5/27現在、申し訳ありませんが、提出いただいた全員の方の研修記を掲載しておりません。また折りをみて追加掲載したいと思っております。)


☆研修記~協力員さんが研修に行って思ったこと、感じたこと、考えたこと~

提出していただいた研修記の一部を掲載します。

協力員 飯田 敬さん
 待望の研修である。テーマ「下伊那の縄文と騎馬に思いを馳せる」とは何ともロマンティックだ。私の姓である飯田市を訪れるとは感慨深い。当地は肌寒かった。高岡1号古墳は小さな石室である。恒川遺跡群は今は畑である。当時の役所の様子は想像するしかない。訪れた博物館はいずれも小規模だ。展示される土器は山梨のものよりだいぶシンプルであり小型だ。粘土の質によるそうだ。馬の骨がかなり出土している。今のものよりだいぶ小柄だ。村石先生が戦車であり、トラックだと論ずるが納得するに時間がかかる。旧小笠原家書院は日本建築の代表である。管理人の方の説明も迫力がある。資料館は逆に斬新すぎて違和感があった。いずれにしても天候に恵まれ充実した一日であった。企画された事務局の方々に感謝します。研修を終えバスより下車すると駐車場の桜が出発する時より満開に近かった。


協力員 斉藤 一幸さん
伊那谷とよばれている、天竜川とその支流の中小河川から形成された河岸段丘の一部を初めて歩いてみたが谷という印象は全く感じられなかった。そしてその段丘上には各所に遺跡が点在し、その多さに驚かされる。
 このことはミヤコとの交流が盛んであったであろうしまた、更に遠方への交通の要衝の地でもあったことがうかがえる。
 遺跡のなかで特に馬関係に興味が惹かれる。
飯田下伊那地方だけでも馬関係の出土例が28件に及び、人を埋葬した墓と共に馬を埋葬した墓も発掘され、このうち何頭かは完全に馬具を着けたままだったという。武具等も多く発掘されているので軍事的な面、或いは輸送手段として中央への献上品として、馬を重要視した大和王権が推し進めた馬の飼育をこの地方が担っていたことを示しているようにも思えた。
 完全に馬具を着けたまま出土した馬を殉葬としていたが、当時馬自体が何にも替え難い財であったろうし馬具もステータスシンボルであったと推定されることを思うと馬の飼育の経験が有る者として殉葬を素直に受け入れることは出来なかった。


協力員 杉野 美幸さん
 毎回楽しみな研修だが、今回は展示のレイアウト、図録や展示解説、ガイドの呼吸、勉強、目線、導線…と今後のガイドや図録編集に活かせる内容が充実しており、面白かった。
 規模が小さい歴史館、資料館でもミステリアスなアプローチや手法一つで興味を惹きつける展開ができるのだなと思った。
 発掘調査された遺跡に案内看板が一つあるだけで理解度が上がり興味を抱く。特徴的な土器を並べると比較することで疑問がうまれる。他県の粘土の質から製法を考える。大きさから集落のあり方を偲ぶ。ハイレベルな内容と展示だと一部の有識者しか享受できず、万人受けを狙うと八方美人的なまとまりがなくなってしまう…など。さすが教育県の長野だなと感動しきりだった。今回の研修を今後の学習のさらなる向上に活かしていきたい。


協力員 内藤 敏夫さん
 南信州「下伊那の縄文と騎馬に思いを馳せる旅」に参加して見学場所、行程、時間等とても充実しており、私も参加した一般人も感激したところである。
飯田市内だけで上郷考古博物館と考古資料館の2つがあり、美術館等も合わせると長野県では82もの施設があり、文化面で充実していることがうかがえた。市内から30もの古墳が発見されていることもあるのだろうか。
各館内の展示品や資料を見ると「ふりがな」が多く付されており、読みやすくわかりやすく小学校低学年から大人まで、多くの人が考古学について興味を持つのではないかと思った。
展示されていた大きな黒曜石の原石を持ち上げようとしたところ「持ち上げないでください」の注意の看板。
次回の研修を楽しみにしている。


《2013.8.22 追加掲載 2名》

協力員 岡庭 邦子さん
 旧小笠原家書院
 インパクトのある解説をしていただいた。
 小笠原資料館
 初めて建物を見た時には「何コレは?」と思った。こういう建物は初めて見たし、入口へ行くまでの道も不思議であった。今注目の建築家の作ということで納得した。室内もスッキリとした明るいとてもモダンな作りでよかった。


協力員 田中 丹朗さん
 高速道路を通るとき、いつも飯田は通過地点で、降りたのは初めて。ここに、古代からのいろんな遺跡があるとは知らなかった。研修旅行だから来ることが出来たと感謝している。見学した遺跡の中で、特に面白かったのは、恒川遺跡群と博物館で見た縄文土器。
 恒川遺跡群は、実際に現地に来てみて、伊那が東山道の要衝で、ここに郡衙が置かれた理由も納得。東山道はここから諏訪を経て上田に繋がるのだと何となく分かったような気になった。恒川清水は古代から現代まで利用されていたとのこと。大事に良く保存されているとびっくりした。私自身は郡衙遺跡という観点で、これまで遺跡を見て来なかった。これから甲斐の群衙や国衙はどうなっているのだろうか勉強してみようと思った。
 見学した博物館で見た縄文土器は、形や模様だけでなく使われている粘土など山梨の土器との違いが大きいのも分かった。小型土器が多いのは粘土が豊富でなかったためではないかとの解説に納得。この時代は、地域間の交流は少なかったから、文化に地域の独自性が色濃い。縄文土器を見ながら、その時代のことを考えるのは本当にロマンチックだ。
 この研修は、ルートの下見、分かり易い研修手引きの作成、現場での的確な解説など、事務局の方々の大変なご苦労で成り立っていると改めて思った。この研修を機にいろんなことを考えることが出来て有意義な一日だった。
事務局の方々のご負担は大変でしょうが、このような研修を今年度も是非とも継続して欲しい。

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2013年05月29日 10:10に投稿されたエントリーのページです。

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